クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望
劇場版クレヨンしんちゃん、第3位の傑作『雲黒斎の野望』
クレヨンしんちゃんの劇場版で、一番の傑作は何か。
多くの人が、
『オトナ帝国の逆襲』と
『アッパレ戦国大合戦』を挙げるだろう。
大人も泣ける、というか完全に大人向けに作られたこの2つの映画。
文句ない傑作だ。
俺も1位と2位はこの2つだ。
じゃあ、3位は?って聞かれると、
そこは好みが分かれるところだと思う。
『嵐を呼ぶジャングル』だって人もいるだろうし、
『ヘンダーランド』だって言う人もいるだろう。
俺は断然、
『雲黒斎の野望』
を推す。
(ただし、ロボとーちゃんとか最近のは見てないので、あくまで歌うケツだけ爆弾までの中での評価です。)
吹雪丸が醸し出す、クレヨンしんちゃんらしからぬ切ないような不思議な空気感
『雲黒斎の野望』の主人公は、しんのすけではなく吹雪丸だ。
女かと思ったら男、かと思いきややっぱり女性だった、
わずか15歳の美女剣士、吹雪丸。
彼女の、男として生きなければいけない苦悩、
両親と妹を奪われた悲壮、
それらを前面に押し出しているからか、
作品全体に、クレヨンしんちゃんらしからぬ、どこか切ないような、物悲しいような、不思議な雰囲気が漂っている。
終盤、吹雪丸が、「私は女ではなァいッ!!」って叫びながら、自分の髪を切り落とす場面は、劇場版屈指の名シーン。
こういった子供向けではない描写は、当時からあったんだなぁ。
物語は終わらない!一転して始まる、爽快感溢れるロボットアクションバトル!!
さて、吹雪丸と、雲黒斎ことヒエールとの戦いが決着し、戦国時代の春日城に平和が戻りました。めでたしめでたし。
と、物語はここで終わらない。
現代に戻り、そこでもう一度、
野原家vsヒエールの戦いが行われるのである。
前半は切なさと寂しさ漂う本格時代劇、
後半は爽快感溢れるロボットアクションバトル、
まるで2本の映画を1本に詰め込んだような、
一粒で二度美味しいのがこの『雲黒斎の野望』の大きな魅力だ。
但し、単なる2段構成にしただけでは、バラバラなお話が2つ続いただけの、どっちも中途半端な不完全燃焼な映画になってしまう。前半と後半では、舞台も、空気感も、登場人物も違うのに、なぜこの『雲黒斎の野望』は、全体に一本筋を通し、1つの映画として面白いものに仕上がっているのだろうか。
"吹雪丸" と "リング=スノーストーム" 2人の人物がつなぐ、一つの物語
その秘密は、吹雪丸とリング=スノーストームの存在である。
物語の終盤、吹雪丸と入れ替わる形で、それまでシロを通して喋っていた未来人、リング=スノーストームが姿を現す。
そして、その容姿は、吹雪丸と瓜二つなのだ。
そして、今まで野原家の隣で戦い続けた吹雪丸の代わりと言わんばかりに、
今度はリングが野原家の隣に立ちヒエールと戦う。
これによって視聴者は、映画の最初から最後まで一貫して同じ人物が野原家のパートナーとして出演しているという錯覚を得ることができる。
このサブリミナル的な効果によって、前半と後半で舞台も空気もバラバラな物語を、全体として一本芯が入った一貫性のあるものとして完成させている。
これは明らかに狙ったものだ。
その証拠に、リング=スノーストームという名前は、
スノーストーム=吹雪
リング=丸
と、まんま吹雪丸を意味している。
このストーリーの構成に、小学生当時の俺はいたく感動したもんだ。
「吹雪丸かっけー!時代劇おもしれー!」
「え?まだ終わらないの!?うわわわ、ロボットバトルおもしれー!」
「あーおもしろかった。でもバラバラな話なのに満足感高かったなー。なんでだろ?あ、そうか!リングのお姉さんだ!リングのお姉さんが吹雪丸っぽいから、話が違和感なく繋がってると思えるんだ!」
おわりに
まぁ、こんな仕掛けを施しても、
そもそも時代劇とロボットバトルがそれぞれ単品で面白くなきゃ話にならないんですけどね。
結局、この映画が面白いのは、そのどっちもが面白いからっていうシンプルな理由に尽きるんですけどね。
その証拠に、このコマンドを未だに覚えている人は絶対にいるはずだ。
ABBAAB→→←
『劇場版クレヨンしんちゃん 第3弾 雲黒斎の野望』
オススメです。