「キルラキルが大好き」「一番好きなアニメはキルラキル」と言うと、
「じゃあグレンラガンも見た方がいいっすよ!」とか、
「なのにグレンラガンを見てないの?」とか 必ず 言われた。
きっと逆も然りなんだろう。
グレンラガン好きもキルラキルをお薦めされる機会は多いに違いない。
確かに、制作陣は同じだし、あえての昭和テイストや無駄な熱さなど共通点も多い。
だけど、結論から言うと、
その薦め方はやめた方がいい。
キルラキル好きに「キルラキルが好きならグレンラガンも見ろ」とか、グレンラガン好きに「グレンラガンが好きならキルラキルも」と薦めるのは絶対やめた方がいい。
何故なら、両者は全くの別モノだからだ。
別モノなのに、上記のような薦められ方をしてしまうと、どうしても、同じモノ を期待して見てしまう。
結果、「何だよ、全然期待したモノじゃなかったじゃねーかよ」ってなってしまう。
お互いに不幸しか生まない。
実際に俺はグレンラガンを見てて、「キルラキルと違って○○だな〜…」とか「キルラキルだったらもっと○○だったのに…」とか思いながら見てしまっていた。途中から、グレンラガンとキルラキルは別モノなんだから、切り離して考えねば。と頭から振り払おうとするんだけど、この10年であまりにも周囲がグレンラガンとキルラキルを一緒に語り続けたもんだから、セットで考える癖は抜けず、最後までキルラキルの影をチラつかせながらグレンラガンを見続けるハメになってしまった。
両者を全く切り離してオススメするならいいんだけどね。
「キルラキルが好き なら グレンラガンも」という言い方はやめた方がいい。
両者はどう違うのか?
4つ、切り抜いて説明してみよう。
キルラキルはコメディ、グレンラガンはシリアス
一番の違いはとにかくコレ。
キルラキルは基本コメディであり、根底に流れるのはギャグテイストだ。
だから基本的に死人は出ないし、終始バカバカしい展開で進んでいく。
対してグレンラガンはコメディタッチな部分もあるものの、
基本はシリアス。
死者も出るし、17話以降の7年後はギャグ要素はほとんど出てこない。
この2つを一緒と考えて見てしまうと、キルラキル好きはグレンラガンを見て物足りなく感じてしまうし、グレンラガン好きはキルラキルを見て「なにふざけてんだよコイツら。真面目にやれ」と思ってしまう。
この点で、一緒にしてしまうと不幸しか生まない。
グレンラガンは伏線もある全体のストーリー重視だが、キルラキルはその場のノリと勢い
両方ともその場のノリと勢いを一番重視しているアニメではあるけれども、グレンラガンはまだ、伏線を張りつつの全体のストーリー性を重視しているように感じた。後半には意外な世界の秘密的なものもあるし。
対してキルラキルはホントに100%その場のノリと勢いだけで構成されてるなって感じがする。
実際、キルラキル放映当時、ネット上ではやたら伏線を探したりその後の展開について考察している人たちがいて、「こんなノリと勢いだけのアニメに何やってんだろ?」と思ったもんだが、グレンラガン好きでグレンラガンを期待していた層だとすればそれも納得できる。
そうだとしたら、グレンラガン好きは当時だいぶ肩透かしを食らったんじゃないだろうか。キルラキルは後半も別に意外な秘密とかそんなないし、スケールも、最後銀河を投げ合う全宇宙規模の戦いになったグレンラガンに対して、キルラキルはせいぜい地球上全人類規模くらいのスケールだったし。
この点も、一緒だと思って見てしまうと双方食い違いが生まれてしまう。
キルラキルは群像劇、グレンラガンはシモン一強
流子、皐月、マコ、鮮血に生徒会四天王と、メインだけで実に8人。
特に四天王の存在が大きい。魅力的なキャラクターが4人も嵩増しされてるから、終始にぎやかに感じる。
実際自分はグレンラガンを見てて、四天王にあたるようなキャラクターがいなくて寂しいなーとずっと感じていた。
対してグレンラガンはせいぜいシモン、カミナ、ニアくらい。
カミナもニアもシモンのためのキャラクターだから、実質シモンの一強だ。
そもそも、第一話から最終回までナレーションで「これは、一人の男の物語」と言っている通り、グレンラガンはあくまで シモンの物語 なんだよね。だから活躍するのがシモン一人なのは当然だし、他のキャラクターもシモンの引き立て役に過ぎない。
主人公一強なアニメが好きな人はグレンラガンはモロ好みだろうけど、群像劇が好きな人にはやや物足りなく感じるはずだ。
逆に、シモンのような主人公を求めてキルラキルを見てたら、「足手纏い流子ちゃん」とまで言われた主人公流子のふがいなさっぷりには大分イライラさせられたんじゃないかな。
この点でもグレンラガンとキルラキルに求められるものは大分違うから、一緒と考えて見ちゃいけないんだよね。
澤野さんの音楽
正直、これはめちゃくちゃデカい。
キルラキルがあれだけ面白かったのは、8割くらい
澤野 弘之 の音楽の力 と言っても過言じゃない。
そんな澤野さんの曲があるかないかは、絶対に無視できない違いの一つだ。
例え制作陣とテイストが同じアニメだとしても、一度澤野さんの曲の魅力に取り憑かれてしまった俺にとっては、澤野さんの音楽がなかったら絶対に物足りなく感じてしまう。
例えるなら、伊藤 賢治 のいないロマサガ といったところだろうか。
とにかく、澤野さんの曲の有無はめちゃくちゃ重要。
まとめ
「グレンラガン大好き?じゃあキルラキルも絶対気に入るって!!」
このような薦め方は 絶対してはいけない。
食い違いによる不幸しか生まない。
「グレンラガンっていう面白いアニメがあってね…」って
さりげなく薦めるのは全然アリなんだけどね。
まぁ、ここまで書いといて、フツーに「グレンラガン好きでグレンラガン感を期待して見たけどキルラキルもスゲー面白く見れたし超気に入ったよ!(もしくはその逆)」って人が大多数派かもしれないけどね…。少なくとも自分は上記のように感じたっつーことで。
だからプロメアも見に行こうか迷ってる。だって宣伝文句も「あの『グレンラガン』『キルラキル』のスタッフが!」ってかましてくるし、見た人も例によって「グレンラガンとキルラキルが好きなら見た方がいいよ!」って言ってくるし。だからその2つは全然別モノなんだっつーの。
でもさっき調べたらプロメアの音楽は澤野さんだった。
これは見に行かざるを得ない。
どちらも全く違った魅力を持つアニメなので、
優劣をつけられるもんじゃない。
グレンラガンが好きな人。
キルラキルが好きな人。
みんな違ってみんないい。
人間だもの。
そして『プロメア』も、全く別モノとして見に行こうかなと思います。
澤野さんの音楽を聴きに。