ハリー・ポッター
13年も寝かせた原作をようやっと読破したので、
原作を読み切るまでは見るまい!と決めていた映画も全て視聴しました!
一日一作品ずつ、全8作品、合計20時間、全部見ましたよ、えぇ。
その上で、率直な感想を書き連ねたいと思います。
「賢者の石」「秘密の部屋」はほぼ完璧!
最初の2作品、「賢者の石」と「秘密の部屋」は、まー、ほぼ完璧な出来!
原作のワクワク感、ホグワーツの楽しそうな雰囲気、夢のような校舎やアイテムや魔法の数々を余すところなく原作のイメージ通りに完璧に再現しているし、端折りすぎ感も間延び感もなく、起承転結がバッチリで話もスッと入ってきた。
特に「秘密の部屋」は、最初の空飛ぶ車での暴走劇から、最後のグリフィンドールの剣を用いたバジリスクとの対決まで、映像映えするアクションや戦いのシーンが目白押しだったので、映画になるとより一層面白く感じた!
ハリー・ポッターって原作を読んだときに脳内に出来上がるホグワーツの世界観が完璧すぎて、それを壊したくないばっかりに実写化・映像化には懐疑的だったんだけど、「映画、ええやん!」ってなりました。
「アズカバンの囚人」以降はダイジェスト
ただ、「アズカバンの囚人」以降の5作品(映画で数えると6作品)は、正直、原作のダイジェストに過ぎない、って感じだった。
もうホントに原作のさわりだけを映像化したって感じ。
原作の一番主要な幹の部分しか映像化してない。
木で言うと、原作が根がしっかり張って枝が張り巡らされて葉っぱが生い茂り、綺麗な花が咲いている木だとすると、映画は根も枝も葉も花も削ぎ落として、幹だけ切り落としたって感じ。もう丸太。いや、ギリギリ花は残ってるか。丸太に直接花が咲いてるって感じ。そんぐらい原作と違う。
ハリー・ポッターの最大の魅力って、作中の全編を通して緻密に複雑に張り巡らされた伏線と、それによるラストの壮大な伏線回収と種明かしなんだけど、アズカバン以降になるともう情報量が多過ぎて、映画の中で全ての伏線を再現することが不可能なんだよね。
最後の種明かしも言葉で説明すると長くなり過ぎて、どうしても省略せざるを得ない。そうなると原作の「そうだったのか!」「すごい!」「あそことあそこが繋がっていたのか!」って衝撃が、どうしても薄くならざるを得ないんだよね。
映画しか見ていない人はマジで原作読んでほしい
映画は映画で頑張ってるし、本来完全な映像化は不可能であるこの作品をよくここまで面白く仕上げたなと思うけど、でも、それでも正直言うと原作のストーリーの素晴らしさの1割ぐらいしか伝わり切ってはいない。
映画だけ見て「ハリー・ポッターってこんなもんかー」と思ってるとしたらそれはホントに勿体無いことなので、映画しか見てない人は頼むから本当に絶対絶対絶対に原作も読んでほしい!
マジで映画はメインのメインのメインの部分だけだから。あの裏には描写されていないもっとずっと多くの情報量があって、原作のストーリーの完成度ってのはホントにもう物凄いんだから!
映画と原作の違いで気になったところ
屋敷しもべ妖精の存在
まずドビー以外の屋敷しもべ妖精の存在はほぼ全てカットされてたよね。原作ではホグワーツの地下にも大量の屋敷しもべ妖精がいて、ハーマイオニーがその解放戦線を作ってハリーたちに辟易されたり、ブラックの屋敷にいた屋敷しもべ妖精が終盤めちゃくちゃ重要なカギを握っていたりしていたけど、それも全部描写されなかった。
ドビー自身も、原作では秘密の部屋で初登場以来ずっとハリーの側で登場してきたけど、映画では秘密の部屋以降は全く登場せず、ラストの死の秘宝で久々の登場だった。
死の秘宝の中盤のクライマックスのドビーの死は、ドビーと屋敷しもべ妖精の存在がハリー・ポッターの全作品を通してずっと重要だったからこそ、衝撃だし感動するシーンなんだけど、映画しか見ていない人にはポカーンだったんじゃないだろうか。
特に映画は死の秘宝はPart1,2に分かれていて、Part1のクライマックスがドビーの死だったから、尚更原作未読者は「なぜPart1のクライマックスがこれ?」って思ったんじゃないだろうか。
スネイプの存在
スネイプの存在感も原作と映画ではまるで違った。
原作でのスネイプの登場頻度ってめちゃくちゃ高くて、しかもどの作品でも必ずと言っていいほど物語の根幹に関わってて、ハリーたち3人に次ぐ重要なキャラクターなんだよね。
それが映画では他の先生と同様の、単なる脇役の一人って印象に成り下がっていた。
ハリーに対する意地悪も、原作ではそれはもう読者が腹わた煮えくり返るぐらい意地悪で理不尽で性格悪くて、すっげー嫌な奴なんだよね。
それが映画だと「ちょっと厳しい先生」ぐらいの印象でしかなかった。
原作だとスネイプってマジで嫌な奴で、しかも登場頻度も主人公たち3人と同じくらい高くて、だからこそ、死の秘宝ラストのあの展開が活きるのに、映画だと脇役のちょっと厳しい先生が死んだくらいの感覚だったから、原作と映画であの場面から受ける印象に相当のギャップを感じた。
原作ではあの場面で、まさにスネイプこそが「もう一人の主人公だった」という物語の真の意味が明らかになる衝撃の名場面なのに、映画だと「なんかちょっと厳しい脇役の先生が意外な秘密を握っていた」ぐらいの感覚でしかなかった。
これ映画しか見てない人と原作読んだ人で、ハリー・ポッターという物語全体に相当印象の差があったんじゃないかな。
そう思うぐらい、スネイプの存在感ってのは重要なファクターだから。
バタービールが出てこない
映画ではバタービールがほとんど出てこないのも意外だった。
注視してみてたけど、多分「不死鳥の騎士団」か「謎のプリンス」ぐらいまで出てこなかったはず。
それも登場したのも1回や2回ぐらい。
USJとかでも大人気の飲み物だと聞いていたから、てっきり映画オンリー勢にも人気なぐらい映画でもバンバン出てくるもんだと思ってたから、これは正直意外だった。
USJとか行くレベルの人はみんな原作読破済みなんかな。
なんにせよ、あの夢の飲み物がほぼ出てこないのは結構意外でした。
ダンブルドアの印象
ダンブルドアの俳優さんは「賢者の石」「秘密の部屋」の俳優さんは完璧だったんだが、残念ながら亡くなられてしまったということで途中で交代してしまったんだが…。
これ、この人が演じ切っていたらシリーズ全体の印象がまるで違ったものになっていたんだろうなぁ…。
ハリー・ポッターにおけるダンブルドアの存在ってのは、絶対的な信頼感と安心感のおけるもので、読者にとっても「この人の言っていることは間違いない」っていう物語の羅針盤みたいな存在なんだよね。
だから、信頼できるし、安心できるし、絶対に味方側だって印象を持たせなきゃいけない。
その点、最初の俳優さんは完璧だった。
ところが交代後の俳優さんが演じるダンブルドアは、普通に弱そうだし、頼りなさそうだし、怪しく見えるから、時折悪役側や「黒幕なんじゃね?」って印象さえ受けるときがあって、物語全体がフワフワしていて指針のない不安定な印象になってしまっていた。
こればっかりは仕方ないんだけどね…。
ただ、ダンブルドアは一キャストの問題ではなく、物語全体の印象にかかわるキャスティングだったから、もし最初の方がご存命だったらなぁ、ってどうしても考えてしまうんだよね…。
総じて
文句ばっかり言ってしまったけれども、普通にめちゃくちゃ楽しめたし、全てにおいて想像以上に素晴らしい映像化でしたよ!
ワクワクしたし、展開知ってんのにハラハラドキドキしたし、原作のあれって映像化するとこうなるのか!って驚きもあったし。
キャストも、原作読んでて頭の中で再現していたイメージとは違ったりもしたけど、概ねピッタリ当てはまっていたし(チョウ・チャン以外)、みんな原作でのキャラの魅力をしっかり再現しておられましたよ(チョウ・チャン以外)。
どっかでAIに原作の文章だけ読ませて顔を再現させた動画があったんだけど、驚くことにほとんどのキャストがほぼ原作で描写された顔の通りだったんだよね(ちなみにこれもチョウ・チャン以外)。
原作読んでて頭の中で再現していたイメージと違っていたキャラクターは、俺のイメージの方が間違っている場合がほとんどだった(つまり描写をきちんと読み下していなかったってこと)。
素晴らしいキャスティングと再現度だ。ディ・モールト・ベネ。
映画も面白かったです!
ただ、映画だけ見てハリー・ポッターを知った気になるのは勿体無い!
あれはあくまで原作既読者のための映画。原作を読んだ人が、「あれって映像化したらこうなるのか!」ってのを楽しむための映画なので、映画しか見たことない人は、ぜひ原作も読んで、そのストーリーの完成度の高さに舌を巻いてください!
さぁて、次はファンタビだ。
まだまだ魔法世界の旅は終わらんな。