恥知らずのパープルヘイズ
現在アニメが絶賛放送中の『ジョジョの奇妙な冒険 第5部 黄金の風』。
そのノベライズ作品である『恥知らずのパープルヘイズ』をようやく読みました。
ジョジョの小説は、今みたいにまだジョジョが世間の表舞台で大人気になる前、2001年頃に、普通にジャンプJブックスで発売された第3部と第5部のノベライズ作品を読んだきりだった。
第3部の方は面白かったんだけど、第5部の方はあまり面白くなく、『恥知らずのパープルヘイズ』もそんな第5部のノベライズということで、手を出さずにいた。
だが、友人が『恥知らずのパープルヘイズ』は面白いよということで貸してくれた。奇しくもそのタイミングでアニメ放映が vsイルーゾォ戦にさしかかり、これ以上のタイミングはないと思い、重い腰を上げて読んでみた。
最初の方はフーゴとナランチャの関係性をはじめとして、本編の裏話や、「あのとき、あの人物は何を思っていたのか」など、本編を補完する内容が、ふんだんに、しかも本編の内容と矛盾することなくごくごく自然に差し挟まれ、面白いなと思いながら普通に楽しく読み進めていた。
だが、読み進めていくごとに、フーゴが、あの時ブチャラティについて行かなかったことを激しく後悔するフーゴが、次第に不憫すぎていたたまれなくなってきた。
最後のジョルノとのシーンとか、感動するよりも、「痛ましい」という感情が先に立ってしまった。
だから、読み終えた俺の胸の中に一番残っている感想としてはコレ。
「フーゴ、可哀相。」
なぜ、フーゴがこんなにも可哀相なのか。
それが、あの行動は彼のキャラクター性として自然に行われたものではなく、彼が物語の展開上の犠牲者だからである。
漫画のキャラクターの行動の動機っていうのは二種類ある。
・物語の展開上の都合とか関係なく、そのキャラクターが、そういう性格だから、ごくごく自然に取られた行動(よく言う「キャラクターが勝手に動いた」という類のもの)
・物語の展開の都合のために、作者に「取らされた」行動
自分はフーゴのあの行動は明確に後者だと思っている。
この点については異論もあるかもしれないが、少なくとも自分にはそう思えた。
確かにフーゴはブチャラティ一行の中では最も理知的で冷静で現実的でドライな性格をしているし、あそこで一人道を違えてもおかしくはないのかも知れない。
それでも自分は『恥知らずのパープルヘイズ』を読んで、「これほど、ジョジョでよく言う"黄金の精神"を持った若者が、あそこでついて行かないわけはないよなぁ」という思いを確かなものにしてしまった。
皮肉にも、あの行動を補完するための小説である『恥知らずのパープルヘイズ』が、あの行動の不自然さを際立たせてしまう結果になった。
あのときフーゴがあの行動を「取らされた」作者側の都合は3つある。
① 仲間のうち1人がついていかないことで、ブチャラティの反逆がどれだけヤバいことなのかのリアリティを出した。
② フーゴのスタンド「パープルヘイズ」が扱い辛かった。
③ 人数調整のため。
①に関しては効果てきめんだった。もしあの場面でフーゴも含め全員がついて行っていたら…と想像すると、漫画としてあまりにも「お約束」の場面になってしまい、ブチャラティがボスに反旗を翻したのがどれほど危険な行為なのかがいまいち伝わらない。仲間の1人が離脱するという大事件が起こることで、しかも一番賢そうなキャラクターが離脱することで、どれだけヤバいことが起こっているのかというのを読者に知らしめる重要な効果があった。
②に関しては、フーゴがクライマックスで敵として登場し、ローマ中をウィルスの恐怖に陥れる、なんて案もあったそうだ。でも、フーゴはそんなことはしないということで没になったとか。その代わりに登場したのが、ご存知チョコラータの「グリーンデイ」である。らしい。もしかしたら、最初からフーゴは敵に回らせることも考えて、あんなスタンド能力にしたのかもな。どう考えても敵側の能力だもん。
③について。実はこれが一番大きな理由だったと思っている。
というのも、荒木飛呂彦はしばしばこの手法を使うからだ。
荒木先生には、一度に同時に動かせる味方キャラクターは4,5人がベストという考えがあるのか、この人数をオーバーすると味方の誰かを退場させることがある。
最も顕著だったのが3部で、
最初は承太郎、ジョセフ、アブドゥル、花京院の4人でスタートし、
ポルナレフが加入した途端にアブドゥルが退場する。
アブドゥルが戻ってきて、イギーが仲間に入った瞬間に、今度は花京院が退場。
最初イギーはマスコットキャラクター的な扱いだったが、一戦力として活躍し出し、花京院も戻ってきて、遂に6人揃ったと思った次の瞬間、敵の罠に分断され3人ずつに分かれる。
そして、そのままついに6人が揃うことは永遠になかった。
このように3部では、戦力として活躍するパーティーメンバーをきっちり4人以内に常に抑えている。
そう考えると、フーゴのあの行動も、人数調整のためだったんじゃないか。
この後トリッシュをスタンド使いとして目覚めさせる予定だから、ここで誰かに外れてもらわなければならない、と。
もしもフーゴのあの行動が100%パンナコッタ・フーゴというキャラクターの内側から出たものだったとしたら、『恥知らずのパープルヘイズ』を読んでこんなに胸が痛くなることはなかっただろう。
そうではなくて少なからず物語の展開のために外的要因によって「取らされた」行動だったから、少なくとも自分にはそう思えてしまったから、そんな自分の意思ではない行動のためにこんなにも後悔して苦しんでいるフーゴを見て、胸が苦しくなってしまうんだろうな、と思う。
あのときブチャラティについて行って、ナランチャやミスタと肩を並べて戦うフーゴが見たかった。
自分が『恥知らずのパープルヘイズ』を読んで得た純粋な感想は、ただただそれだけである。
切ない。
やっぱり、ジョジョの小説は第3部のサタニックカプラーが出てくるやつが一番面白かったな。
とても文学作品としてレベルが高いものではないけれども、王道少年漫画臭がすごくて面白いよ。
第3部が、承太郎たちの少年漫画らしい熱さが好きな方は、ぜひ。
いや、『恥知らずのパープルヘイズ』も面白かったんだけどね。第5部本編の裏話があんなに知れるのは楽しいし。ただ、自分は面白さよりもフーゴの切なさが一番残ってしまったというだけで。
まぁ、5部好きなら読んでみてください。
読んで損するものではないです。
素敵な小説です。
切ないけどね。
恥知らずのパープルヘイズ ―ジョジョの奇妙な冒険より― (JUMP jBOOKS)
- 作者: 荒木飛呂彦,上遠野浩平
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2014/03/19
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