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【ネタバレ考察】モブサイコ100 〜第100話・第101話についての考察〜

モブサイコ100

 

今回は最終巻である第100話、

そして最終回である第101話について、

考察を少し。

 

※ 当然、ネタバレのオンパレードなので、未読者は読まないよう注意してください。

 

 

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ちなみにこのシーンはめちゃくちゃ名シーンだと思います。

 

 

 

【考察1】霊幻の告白を受けて

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さて、1つ目は、最終章最大の名場面。

霊幻が自分は無能力者だと告白するシーン。

(ていうか、第100話のサブタイトル「告白」って、モブのツボミちゃんへの告白もそうだけど、霊幻からモブへの秘密の告白って意味も込められてたんだね。)

なぜ、???%の方のモブは、霊幻のあの告白を受けて暴走を止めたのか。

 

そもそも、通常のモブと、???%のモブは、霊幻が無能力者だということを知っていたのか?

記者会見後のやりとりをみると、通常のモブは気付いているようにも受け取れる(というか、自分はあの場面で霊幻が無能力者なのはモブにとって公の事実になったものだと思っていた)。あそこで気付いていたかどうかは読者に委ねられるような描き方となっているが、おそらく正解に近いのは、モブにとっては「どちらでもいい」ことだったというところだろう。能力者だろうと無能力者だろうと、霊幻は「いい奴」であり信頼できる人物であるというのがモブの認識で、その回答は記者会見編でとっくに出ているものだった。

だが、???%にとってはそうじゃなかった。おそらく???%はモブと違って霊幻が無能力者だと最初からハッキリ気付いていた。気付いていたから、霊幻は「超能力者である自分を利用する人物」であり、許せない人間でもあった。

 

ところが、その霊幻が、あろうことか自分から「俺はなんの力もないんだ!持ってないんだよ!」と告白してきた。そのことが、???%にとっては大きな衝撃だった。霊幻が何の力も持っていないことなんかとうに知っていたから、彼が驚いたのは霊幻が無能力者だったことじゃない。霊幻が自分は無能力者だと ハッキリと自分から告白してきたこと が彼にとっては何より衝撃的だったのだ。

 

そして「お前だけが特別な訳じゃない。自分の存在を受け入れてやれ」と諭す霊幻。無能力者なのに、自分を特別扱いせず、受け入れてくれる。それは彼が ツボミちゃんに惹かれた理由と全く同じ なのだ。

無能力者なのに自分を受け入れる存在は家族以外では世界でただ一人、ツボミちゃんだけだと思っていたのに、あろうことか軽蔑してきた人間が自分を受け入れると言ってきた。それは彼にとって、天地がひっくり返るほど衝撃的な出来事だったに違いない。

 

実際に彼のツボミちゃんと霊幻に対する考え方がわかるシーンが以下。

「なんでツボミちゃんのことを好きになったかを思い出せばいい。ツボミちゃんは超能力を使える僕を特別扱いしなかったんだ。"僕"と"モブ"を別々に見なかった。"一人"の友達として仲良くしてくれたんだ。向き合ってくれたから…」

「あの人は?」

「あの人は違う。気付かないフリはもうやめろよ。あの人は嘘つきだ。あの人は…僕を…利用しようとしてるだけだよ…。あの人は僕の"力"を仕事に使うことにしか興味がない。そういう意味で僕を一番特別扱いしてたのはあの人だ。モブの本当の姿を知ればあの人は僕を解放するよ。」

つまり、???%にとって霊幻は、自分を一番特別扱いする、ツボミちゃんと正反対の存在だった。

 

そう思っていた???%に対して、霊幻が放った言葉が以下。

「お前だけが特別なわけじゃない。二面性なんて誰にでもある。皆お前と同じだ。俺も…。だからそんなに悩むな。いや…悩んでもいいか…。それもまた当たり前のことだ。えーと…要するにだ…。お前は…そのままでいい。そろそろ受け入れてやれ。自分を!お前なら…モブならそれができるってことを…俺は知ってる!!」

 

こうやって対比させると、霊幻のこの言葉は、???%の抱いていた霊幻像と綺麗に正反対で、逆にツボミちゃんについて言っていた内容と綺麗に一致していることがわかる。

「僕を一番特別扱いしてたのはあの人だ。」お前だけが特別なわけじゃない。」

「モブの本当の姿を知ればあの人は僕を解放するよ。」「お前は…そのままでいい。」

「"僕"と"モブ"を別々に見なかった。」二面性なんて誰にでもある。皆お前と同じだ。

「"一人"の友達として仲良くしてくれたんだ。向き合ってくれたから…」「そろそろ受け入れてやれ。自分を!」

 

自分を受け入れてくれる他人はこの世でただ一人ツボミちゃんだけだと思っていたのに、ツボミちゃんと正反対の位置にいると思っていた人間から同じ言葉が聞けたこと。それによって、彼は、世界が自分を受け入れてくれるかもしれないってことを理解した。

そして、モブの世界に色が付いた。

 

それが、霊幻の告白でモブが暴走を止めた理由だと、自分は思う。

 

 

 

【考察2】最後の100%

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最後の100%は、何の100%なのか。

 

今までモブが100%になったとき、何の感情が100%になったかは作中で必ず明記されてきた。

「怒り」「悲しみ」「敵意」「師匠に任せる」「勇気」「執着」「友情」…

だが、この 最後の100%だけは、何が100%になったのか一切書いていない のだ。

 

自分は、作中中盤で「師匠に任せる」や「勇気」など、負の感情以外も100%になるって知ったあたりから、最終回で100%になるのは何の感情かな~となんとなく予想するようになった。自分の予想では、それは「愛」だと思っていた。最終回は「愛」が100%、で、綺麗に終わる。

最後に100%になった後に向かう先はツボミちゃんへの愛の告白だから、「愛」でもあながち間違っていない気はする。でも、ここまでの流れとこの場面の描き方からすると、どうもしっくりこないな~。

「自信」かな。超能力者である自分も受け入れて、自分を認めて告白に挑むモブの「自信」。それが100%の正体かな。うん、そうじゃないかな。それが一番しっくりくるもん。きっと「自信」だ。

とか思っていた。一回目読んだときは。

 

だが、なんのことはない。答えはちゃんと作中に明記されていたのだ。

それは第8話。エクボとの初対決のとき。モブが初めて 100% になったときのこと。

「ここに1人の超能力者がいた。周囲から "モブ" と呼ばれる中学生。彼は強力な "力" を持っていながらも自らそれを披露する事を無意識に避けるようになっていた。成長を重ねる毎に自分の "力" が危険である事に徐々に気付いていったのだ。"好きなように" "思うがまま" 動けないとなると常に感情にブレーキをかけた状態になる。"力" の使用を避ける生活が、自分のコンプレックスになっている事にモブ本人は気づいていない。抑圧された感情はモブの心の奥深くで少しずつ膨らんでいく。内で溢れ出し暴れる感情のセーブにも、一定の限界許容量がある。そして今まさに、奔流し、渦を巻く感情がついに限界を超えようとしていた。」

つまり、モブの100%とは、超能力者である自分と決別し、超能力を使わないよう常日頃からブレーキをかけている感情の「一部」が表出すること、だ。

 

そして、最後の100%に至る場面で描かれているのは、モブが超能力者である自分を受け入れるシーン。より正確に言うと、超能力者である自分と、超能力以外の自分が、お互いを受け入れ合い、一人の人間に戻るシーンだ。

もうモブは、超能力者である自分を無理に抑え込む必要はない。すなわち、感情にブレーキをかける必要もなくなる。「怒り」だとか「勇気」だとか、「愛」だとか「自信」だとか、一部の感情だけじゃない。自分が持つ 全ての感情 を、モブはもう自由に表出することができるのだ。

 

そう、最後の100%は、

モブの持つ全ての感情が100%になった ってことだったんだ。

 

その証拠に、この直後から最終回に至るまで、モブは今までとは比較にならないほど感情豊かになっている。というか、最終回は「モブが感情豊かな少年になった」ってことを描くための一話だと言っても過言ではないと思う。

ツボミちゃんにフラれて泣くモブ、佐川に肉改部に入った理由をバラされそうになって焦るモブ、そして、ケーキを顔面にぶつけられた霊幻を見て笑うモブ。全て、超能力者である自分を受け入れて全ての感情を100%自由に出せるようになったから見られるモブの姿だ。

 

モブサイコ100』は、モブ サイキッカー である自分を受け入れて感情を 100% 取り戻す話。まさに、タイトル通りのストーリーだったんだ。

 

 

【考察3】モブは超能力を失ったのか?

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最終回の描き方を見ると、モブは最終的に超能力を失ったかのようにも読み取れる。

猫を助けるために電柱を登るシーンでは、一切超能力を使わずに登って降りられずに困っているし、最後に霊幻の顔に超能力でケーキをぶつけるシーンも、「おい誰だ今やったのは!?」と、誰が超能力を使ったのかはわからないようになっている。そして、それ以外にモブが超能力を使っているように見えるシーンはない。

 

おそらく、意図的に読者の解釈に委ねられるように描かれているのだろう。どう捉えようと、読んだその人が思う方、それが真実だ。

 

それを理解した上で、自分の中の真実をここに書くと、自分は、モブは超能力を失ってはいない と思う。

 

無敵の超能力を持つ少年が、最終回で超能力を失って普通の少年に戻る。確かにちょっぴり寂しさの残る、最終回としては美しい終わり方だ。

でも、ここまで散々書いてきた通り、この物語は、モブが超能力者である自分を一つの個性として受け入れる話なのだ。なのに、最終回で超能力を失ってしまったら、メッセージ性がちぐはぐになってしまう。

 

上で書いた通り、いい最終回ってのはちょっぴり寂しさの残る、主人公に少しだけ試練が残るような最終回が美しい終わり方だ。

これが全編通して超能力を前向きにガンガン使っている主人公だったら、最後に超能力を失った方が綺麗にまとまるよ、そりゃ。

でもモブは、むしろ全編通して「超能力をなくしてしまいたい」と思っていた主人公だ。そんな主人公がようやく超能力を受け入れて前向きに生きていく決意をしたのに、当初の望み通り超能力を消してしまったら、それは寂しさも余韻も試練もない終わり方になってしまう。

モブサイコ100』に限っては、超能力を失わない方が、「ちょっぴり寂しさの残る美しい終わり方」に近くなるんだと思う。

 

じゃあなんで、猫を助けに電柱を登るときに超能力を使わなかったのか?

そして霊幻に超能力でケーキをぶつけたのは誰なのか?

 

モブは「極力、超能力に頼らずに自分の力で生きていく」というスタンスを、超能力を受け入れた今でも基本は変えてはいないのだろう。きっとあの場面でも猫が電柱から落下して地面に激突しそうになったら躊躇なく超能力を使ったに違いない。エミの原稿用紙を、最初は超能力を使わずに素手で一つ一つ拾っていたときのように。

 

一方で、霊幻の顔面にケーキをぶつけるといった ちょっとした冗談に超能力を気軽に使うようにもなっている。これは以前のモブなら考えられなかったことだ。ここはまさに、モブが超能力を自分の一部として完全に受け入れているという重要なシーンだ。

というわけで、霊幻の顔面にケーキをぶつけたのは、間違いなくモブだ。

 

もちろん、ここまで書いたのは自分の個人的な見解で、最終回ではモブは超能力を失っている、と捉えるのも、当然読み手の自由だ。

 

でも、基本は超能力を使わず頑張るけど、一方で顔面ケーキみたいなちょっとしたジョークには躊躇なく超能力を使っちゃうモブ君、自分は結構好きだな。

 

 

 

さて、以上、『モブサイコ100』最終2話についての考察でした。

ここまで深く、しっかりした話が作れる作者は本当すごいよ。

 

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ラストのコマ、笑顔のモブがすごい素敵だよね。

 

モブ君の今後の未来に幸あれ!

 

 

 

~おわり~

 

 

モブサイコ100 16 (裏少年サンデーコミックス)

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